詩を書く、という行為について
2009年10月12日(月)
詩は言葉の芸術だから、芸術も言葉も好きな私が、詩を愛するのは極めて自然なことだ。
私が詩を書く一番の理由は、私が読みたい詩を書く人間が少ないからだ。私の詩の一番の読み手は私だ。
私は私を「詩を書く人間」や「表現者」と呼びたい。「詩人」という呼称には自惚れが多分に混ざっている。「詩人」とは職業ではなく、称号だ。自らを詩人と呼ぶことは愚かだ。
芸術について
2009年6月15日(月)
芸術とは感性と知性の調和だ。感動と技の融合、自由と制御の均衡とも言うことが出来る。感性とは心、知性とは脳、つまり人間の創造する結晶が芸術だ。そして、子供の絵、美しい数式など、均衡の外に成立する調和も存在する。
芸術には一種の毒がある。表現せねばならない、という段階では芸術の奴隷となっている。大切なことは、人間として、表現者として、職人として、芸術を支配する、或いは友好的な関係にある為の経験、力量、余裕を獲得することだ。
過去の作品に触れることが出来る現代の表現者として、古典であれ、大作であれ、過去を超える可能性、使命を背負っている。その権利、義務に基づき、芸術を進化させ続けねばいけない。
芸術と詩の関係について
2009年6月15日(月)
詩は芸術の一分野に過ぎないが、その最高位に位置する可能性を秘めている。楽器や絵の具と比較して、言葉がより伝達性に優れていることは、私達の生活を見れば明らかだから。そして、映像と違い、言葉は想像力の余地、つまり無限の可能性を許している。
他の芸術分野についても同じことが言えるが、詩は詩が表現すべきもの、詩によって最も良く表現されるものを表現するべきだ。例えば、言葉は「孤独」を二文字で表すことが出来るが、音楽、絵画では多少の困難を伴う。言い方を変えれば、絵画でより良く表現出来る対象を、詩は表現すべきではない。
言葉の要素について
2009年6月13日(土)
言葉は単語レベルでは意味、音、形、位置、背景等で成り立っている。文章を含め、広義なレベルでは、それぞれ、ニュアンス、リズム、構造、コンテキスト、文化と言いかえることが出来る。
(ここでの言葉とは、一般的な意味での単語で、手話等は含んでいない。)
詩を言葉の芸術とするならば、それは言葉の一要素の、或いは複数の要素の芸術と理解することが、詩の本質へ向かう際に大切となる。
詩について
2009年6月13日(土)
詩とは言葉の芸術のことだ。
散文が内容の伝達を目的としているのに対し、詩の目的は感情、雰囲気の伝達と言える。
芸術としての散文は内容によって感情、雰囲気を伝達するが、詩はそれらを直接的に表現する。